携帯文具特別編:矢立


 
矢立全体

矢立(柄杓型)

矢立の墨壺

墨壺

矢立の墨壺

墨壺(蓋が開いた状態)

 

日本における携帯文房具の祖と言えば、「矢立(やたて)」ではないだろうか。
筆と墨による文化において、「矢立」ほど、携帯性を追求したものはないだろう。

「矢立」は、筆、墨入れと筆入れが一緒になったものである。 昔の日本は、時代劇などを見ると分かると思うが、「毛筆」の文化である。 そのため、特に、西洋の"Pen"と違い、机などなくとも、巻紙と筆墨があれば、文字を書くことができる、独特の文化があった。
その、筆、墨といったものは、もともとは中国から渡ってきた文化であるが、この「矢立」に関しては、日本独自の発送から生まれたものである。

「矢立」とは本来、武士が着る鎧の上から斜めに吊った矢を入れる道具、「箙(えびら)」のことを指す。
その後、鎌倉時代に武士が合戦場で書状などを書く道具として、矢をいれた箙の下の小箱に硯、墨、筆を入れて携帯するようになった。 これを「矢立の硯」と呼んでいたものが、いつの間にか「矢立」と呼ばれるようになったのである。
やがて、硯と墨が消えて、墨壺がつくようになり、おなじみの形へと発展した。

さて、矢立には、大きく分けると、墨壺一体型と、分離型の2つに大別される。 さらに、形によって、柄杓型、檜扇型、印籠型矢立、根付型矢立に分けることができる。
左の写真はもっとも一般的な柄杓型の矢立である。

ちなみに、写真の矢立は、もともと研究所にあったものではなく、ひょんなことから入手したものである。
筒の部分には、小筆があるのだが、こちらも入っていなかった。 また、墨壺には、墨汁をしみこませた綿などを入れてあるのだが、入手したときは、何も入っていなかった。 ただ、墨の固まりが壺の内側についていたことから、どこかで使われていたということだけは分かる。


「矢立」を「矢立て」と表現している場合もあるが、ここでは「矢立」で統一した。
また、「矢立」の由来については、きちんと文献等で調べ尽くした訳では無いため、上記の説明が必ずしも正しいというものではないことをご了承願いたい。

矢立に関しては、兵庫県の阪急芦屋川駅近くにある「俵美術館」が有名である。
ここでは、約1500点の矢立を収集し、そのうち約130点を展示しているということなので、一度見に行ってみたいと思っている。

 
 
所長 どら 

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Last update: 2003/05/11

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